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プロフィール

りんごアバター

 

はじめまして、

「りんご」です。


2016年4月にのぶ(旦那さん)と岡山県の田舎にある実家に転居し、
りんごの母と三人暮らし。
デザイン系の非常勤講師をするかたわら、
念願だった「インターネットでお仕事をする」ことを決意。

夢への一歩を踏み出しました。

このブログではそんなりんごが
メルマガ&アフィリエイトビジネスに奮闘する様子をお届けしながら、

初心者やシニアに優しい
ブログ&メルマガを利用した
ネットビジネスのはじめ方
をお伝えします。

 

内容の一覧

1.「りんご」と「appli」の命名について
2.りんごの仕事歴々
3.いつかは岡山へ と言う思いが生まれた
4.突然仕事がなくなると言われた
5.引越し、実家のある岡山へ
6.再就職
7.国民年金と健康保険と市民税が怖い
8.ブログを書いて収入を得ることにする
9.現実は厳しい
10.メルマガとの出会い
11.誰にでも将来に不安はある
12.夢はあったはず
13.運命は味方してくれた、努力すれば叶う夢なら叶えるべき
14.その先の未来が描かれる
15.あなたに

「りんご」と「appli」の命名について

りんごの絵
「りんご」はインターネットにお世話になり始めた頃から使っているハンドルネームです。ツイッターは林檎 その他ネット内で「りんごりんご」「りんごりん」等で使い分けています(統一したいのですがね、なかなかアカウント取れません)

りんごにした理由は果物のりんごが大好きなのです。
今のところ世の中で一番好きな食べ物です。

もう一つの「Apple」Macくんを作っている会社ですが、大好きです。最初に手にしたのは「PowerBook5300CE」というノートです、それ以来Macくんとはどんな時も離れず一緒です。Windows機は仕事のパートナー、Macくんは心の友です

 

サイト名「appli」については以下。
これは2000年に作成した私設のホームページです。
ちょっと崩れてますが今でも見れます(Flash なので環境によっては表示できません)

https://appli.red/appli27 クリック↓↓↓↓↓↓↓
appli27のトップページ

このサイトのプロフィールがこちら。
appli27プロフィール

冒頭に書いたこの思いは今も変わりません。

appliは屋号です。Machintosyuが大好きで、りんごも大好き!
appleとしたいけど、いくらなんでも・・・とひともじモジりました。
appliapplicationという単語からとりました。適応、応用という意味があります。
環境や状況に柔軟に対応できる。でも、自分らしく。
そんな生き方がしたいという思いを込めました。

当時は「appli(アプリ)」という言葉は世の中でそれほど流通していなくて。
この名前は自分で考え出したものです。
(商標登録しとけばよかった!でも調べてみたらその時点で別の人が登録済みでした)

屋号(やごう)として、税務署にも届出しました。

「appli」のロゴは、2000〜2001年に通ったデザイン専門学校時代に制作したものです。
実は、これ丸と棒だけでできていて、
電光看板が作りたかったので、市販の蛍光灯で安く作れるように考えたのです o(^-^)o
(看板作りはまだ実現していませんけどね、いつか作るぞ!)

 

そして、この度2000年以来のリニューアル。
ドメインは appli.red  とシンプルになりました。
Topページは10年ほど書きためたブログをまとめました。
「デザイン工房」ではこのサイトを作成していく過程を紹介しながら、ブログ構築を解説しています。構築はまだまだ3合目くらいですが、理想と現実の間で息を切らしながら頑張っています。
お役に立てる情報を見つけていただければ幸いです。

 

 

りんごの仕事歴々

りんごはたくさんの仕事を経験しました。
医療系短大を出て国家資格を取得し、「臨床検査技師」になりました。
当時はまだこの職業があまり認知されておらず「それ何するん?」とよく聞かれました。

しかし、「手に職」と言われる時代がおとずれ、身につけた資格は私をとても助けてくれました。
小学校の頃から、白衣を着る仕事がしたいと思っていたので、願いは叶いました。

 

結婚を機に退職&引越し、転居先でも「臨床検査技師」で再就職しました。
しかし、同僚に誘われるまま他の世界も覗いてみたいと思い営業職へ転職。
その後、子育てする将来を考えて、家でできる仕事を探しました。

巡りあったのがワープロで文章入力をする仕事でした。
(当時、私がハマったのは「富士通のOASYS」)
そうこうしながら、仕事内容は文章入力からDTP(画像やイラストが入る)へと移行して行きました。

自宅での仕事だけでなく、派遣会社に登録し入力系の仕事を色々やりました。

 

色々いろいろあって離婚、バツイチのシングルマザーとなりました。
ドタバタの後、実家に出戻って「臨床検査技師」として地域の病院に就職をしました。
待遇は正職員、給料もボーナスもよかったし、環境も恵まれていました。
このまま定年まで居てもいいかなとも思っていました。
写真、検査技師

だが、そうやすやすと人生は運びません。
父の病気や死を経験し、親の助けなしにはままならない現状を見直しました。
実家に頼らず息子と二人で自立することにしました。
病院に退職届けを出して、プランも勝算もないまま、息子と二人実家を出ました。
(かなり、かなり、無謀だったと思います。でも自分らしい道を選ぼうと決心したのです。)

写真、コスモス、息子と一緒

一年間は仕事をしない、もう臨床検査技師はしない、と決めていました。
貯めた貯金を頼りに、食いつなぎました。
兼ねてからデザインの勉強がしたかったので、デザイン専門学校にも通いました。

自分に許した一年を終え、就いた仕事はパソコン教室のインストラクターでした。
病院時代に取得したMacの知識と技術が武器となったのです。
「Macだけでは、コマ数が少ないので、Windows系の講義もやりませんか」と言われ、
ワードやエクセルその他の諸々の講座を制覇して行きました。

 

パソコン教室のインストラクターは常勤の仕事ではなく、
何教室かを数名のインストラクターでまわします、毎月シフト表が配られ担当が割り当てられます。
つまり、翌月のコマ数(収入)が保証されていません。

安定収入確保のため、もう一つ仕事を探しました。
人づてに紹介を受け、あるビジネススクールの広告作成をするMacオペレータとなりました。
作成していたのは、そのスクールの新聞記事下広告,校内のポスターやチラシなどです。
それに加えWindows系ソフトも得意だったりんご、教材やデータベース作成等色々やりました。

週半分をパソコンスクールで教え
のこり半分をMacと一緒に広告を作るという、まさに二足のわらじでした。

 

派遣会社の仕事も追加しわらじは三足に、収入もまあまあ、充実していました。
マイクロソフトのMOTというインストラクター資格も取得しました。
この道で行こうとしていました。

 

しかし
人生は面白すぎです
またまた、転機が!

友達のお姉さんに「陽子さん(りんごの本名)にいい仕事がある、話を聞いて」と言われ
紹介された仕事の面接を受けました。
キッパリ断るつもりで出かけましたが、
担当者を前に「わかりました、やります。」

え!!、どういうこと?返事した自分が驚いた次第です。

なぜだかわからないのですが「行こう」と思ったのです。
三足のわらじはどれも言えばフリーター、
来月、再来月、の仕事の約束は何もありません。
息子は中学生になっていたのでそろそろお金がかかりだす、安定収入は魅力的だったこともあります。

転職後時給は半分になりましたが勤務時間が長いため月収としては同額程度稼げました。

 

そして、ここから10年超この職場で働くこととなります。

のちに、
この職場で旦那さんと出会い結婚することになるので、
今思うと何らかの力に引き寄せられたのかもしれません。

 

やれやれ短く書いたつもりですが、えらいかかってしまいました、すみません。

ご紹介したいりんごの人生はまだまだ盛りたくさんです。
このブログやメルマガで、紹介して行きます。

題して「りんごの波乱万丈」
自分で言うのもなんですが 壮絶です! こうご期待!!

 

「りんごの波乱万丈」はりんごメルマガで配信中!
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それではいよいよ本題(笑)

2016年春に岡山へ引っ越すことになった経緯(いきさつ)と、

りんごが
「ブログ&メルマガ」でアフィリエイトビジネスに挑戦しようと決心するに至った思いをお話しします。

 

いつかは岡山へ という思いが生まれた

—–ここから文体がドキュメントぽくなります—–

岡山へ行ってもいいよ
岡山県真庭市、りんごの実家があるところ。
旦那さんが台所の換気扇の下でタバコ吸いながら「ポツリ」と呟いた。

「岡山へ行ってもいいよ」

「え?!」っとりんごは思った。

田舎で一人暮らししている母、
小さいけど、美味しい野菜が取れる畑。
夏には蛍が飛んで、冬は満点の星空が広がる。
「いつか帰ろう」
と小さな決心をした。

でも、現実的には田舎すぎて仕事がない。
当時旦那さんとりんごは同じ職場で働いていた。
その仕事を手放してまで田舎に帰る決心はつかなかった

「いつか風がふくよ」
そう言いながら、引越し資金を積み立てはじめた。

 

 

突然仕事がなくなると言われた

安泰だと思っていた仕事がなくなる

突然風は吹いた。
それもとんでもない突風だった。
安泰だと思われていた職場がなくなることになったのだ。

りんごの勤めていたのは大手のグループ企業、
ネームバリューも規模もそれはそれは大きくて、安泰の文字の上にあぐらをかいていた。

主な事業内容は、電話でのテクニカルサポート業務。
りんごはオペレーターからインストラクターへ、スーパーバイザーとなり日々奮闘していた。

 

同じような業務をする事業所が国内に何箇所かあった。
色んな理由でりんごの勤めている事業所が閉鎖されることが会社の上の方で決まった。
知らされたのは秋深いころ、閉鎖は翌年の3月末と告げられた。
会社が示してくれた道は3択だった。

その1:同じ会社の別の部署への転属
その2:他のグループ会社への転属
その3:退職して全く別会社への転職(これには手厚いリクルート支援がついた)

かなり迷った、決めても決めても何度も迷った。
でも、これぞ「追い風」と信じ、思い切って飛んでみることにした。
りんごと旦那さんは 退職&再就職を選んだ
引越しを決意し田舎に帰った。
それまで同居していた息子は独立し一人暮らしを始めた。

 

 

引越し、実家のある岡山へ

田舎暮らしへ

築150年超の古(いだけの)民家に住むことになった。

田舎に帰り旦那さん共々失業保険を頼りに半年ほどプー太郎(無職生活)をした。
文字通り、食う寝る生活。
桜が咲けば、近隣の名所を全て巡り
オリンピック(リオ)中はTV
ざんまい。(ノ≧∀≦)ノ・‥…
北陸〜信州温泉巡り、マイカーで2000キロのドライブ旅行をしたりもした。

田舎暮らしはそこそこ快適だ。
近所付き合いも順調で、同年代の仲間も多く旦那さんもすぐ打ち解けた。

旦那さん共々狩猟免許を取り、狩人にもなった。

実家はとにかく古い、りんごが幼い頃から築100年と言われていたので、150年超え?
とっても古いが、度重なる改装を繰り返しなんとか持ちこたえている。
持ち帰った荷物で床が抜けないか心配だが、雨露はしのげる。
勿論持ち家でローンはない。
何とかなりそうだと感じた。

写真、畑

 

再就職

夏が終わりをむかえる頃、
そろそろ働こうとリクルートの担当者にこう告げた。


「できれば2つの仕事を掛け持ちでしたいです。デザインを作る仕事と教える仕事、
どちらかに決められないので両方やりたいです。」

その時の担当者が本音でどう思ったかは知らないが。

女性で、
50歳を過ぎて、
飛び抜けたキャリアがある訳でもなく、
住まいはど田舎で、

何を言っているのか、
一般事務やレジ打ちさえ探すのが難しい状況じゃないか 

と心の声が聞こえた

 

結局リクルート会社はあてにせず、
ハローワークの求人情報で運命的に仕事を見つけた。

デザインを教える非常勤の講師の仕事だった。
勤務日は週の半分、単価は申し分なかった。
自力で申し込みをし、面接を受け、採用された。

 

そしてもう一つの「作る仕事」については失業保険が出る間は求人票を探した。
印刷会社やHP製作会社等、週何日かのパートの仕事は街に出ればなくはなかったが、
気の進む巡り合わせはなかった。

それよりも自由な時間とそれがもたらす心の余裕が捨てがたくて、
もう一つ勤務先を決めることはやめた。
作る仕事はフリーランスでやろうと決めた。
すぐには無理だがそのうちなんとかなるだろうと持ち前の気楽な自分がささやいた。

 

旦那さんも、街でのパソコンサポートの仕事が決まった。
ただし、毎日片道60キロの通勤を頑張ることとなった。

でも、そうこうしてこの地に根を下ろす気持ちは固まった。

 

 

国民年金と健康保険と市民税が怖い

さすがに週3日だと収入が少ない

 2016年9月に再就職して、1年半。
新しい職場にも仕事にも慣れた。
しかし、課題は放置されたまま、週3日の勤務以外の仕事&収入の確保だ。

この度の退職は100%会社都合、
失業保険も待機期間なくすぐ支給となった。
また、年齢と勤務年数から算出された給付日数は270日(9月分)充分だ。

270日より前に就職をしたりんごだったが
「週18時間以内の勤務」のため、就職とはみなされない。
仕事しながら、失業中という状況になった。
つまり、働かない日の分は失業保険が出る。
つまり、270日満期の2017年春までお給料と失業保険で悠々と生活できた。

 

しかし、洗濯機を新調したり、電気工事したり、クーラーつけたり、
あれやこれやで引越し用に貯めたお金も底をついた。

また、短時間勤務のため社会保険の対象外。
いわゆる国民年金、国民健康保険の支払いが課せられる。
2016年と2017年は会社都合の失業を理由に、減免と免除の権利をゲットしたのだが。
もうその手も使えない。

今年度から市民税の支払い金額もグッと上がる。
やばい、
非常にやばい、
払える気がしない、

なんとかしなければ!

 

 

ブログを書いて収入を得ることにする

そうだブログで稼ごう

いつかは、ブログで稼げればいいなと思っていた。
料理ブログとかを立ち上げて、ゆくゆくはレシピ本をだす。
ガーデニングの記事を書いて、お庭作りの本をだす。
田舎暮らしのブログを書いて、スローライフの本をだす。
そのような餅をたくさん絵に描いて眺めた。

 

ちょっと真面目に取り組んで見ようと思い立った。
時間はある、ほったらかしのブログも何個かある。

枯れ果てたブログをかき集めて、「appli」のサイトを新しく立ち上げた。

とりあえずアフィリエイトかな〜
とりあえず楽天かな〜と広告を貼って見た。

アフィリエイトの開設方法を調べるうちに
「アドセンス」という単語に出会った。
どうもこっちの方が収入率が良さそうだ。
よく調べもしないまま、登録申請をしてしまった。
申請後、「申請が通るための条件とは」を見て唖然
せめてpvが100以上になってから
せめて記事をある程度書いてから
せめて開設から1〜3ヵ月はブログ1日1件書いてから
等々、

え?、え?、え?って感じ
記事は昔のが枯木も山の賑わい状態だったが
PVってなに?
ブログのアドレスを登録してから1週間も経っていないし?
ああ、もうだめだ!

しかし、奇跡の承認がおりた。
おおありがたい!!

 

現実は厳しい

報酬は雀の涙
しかし、しかし、常に現実は厳しい。


地道にコツコツ継続しないと結果は出ないよ!
最初の1年はスズメの涙にもならないよ!
SEO対策をして、検索上位にならないと全くもって話にならないよ!
等々の厳しい現実

2ヵ月過ぎた時点で
アフィリエイト成果は0円
アドセンス成果は200円ほどだった。

6月には上記の年金や国保や税金の支払いが始まる。
ついでのおまけにりんご用の新車を買ってしまったのでボーナス払いが待っている。
なんとか5万円/月の収入を確保したい。

このままだと、今のゆとりの時間を手放しスーパーのレジ打ちしないといけなくなる。

 

 

メルマガとの出会い

ブログのSNSボタンの設定をするために、
ネットを廻っていて巡りあったひとつのブログ。

とても綺麗で丁寧な解説ブログだった、

ただ、心が止まったのは管理人の横顔だった。
なぜだか気になって、思わずメルマガ購読のリンクをクリックした。

 

メルマガはあまり好きではなかった。
個人のメルマガの登録をしたことはなかった。
なぜ、そうしようと思ったのか
惹きつけたのは管理人の放った引力だったのだと思うのだけれど、
そして、メルマガでのアフィリエイト
「ステップメール」システムを知ることになる。

 

それから、気になるサイトに出会うと管理者のメルマガに登録した。
登録してみてわかったが
気になるサイトの気になるメルマガはアフィリエイト用のステップメールだった。

ただ私のメルマガに対する印象は 以前とは違ってきていた。
あからさまに商材の紹介と販売に向けてストーリーは作られているのはわかるが、
そのストーリーを感じることは嫌ではなかった。
どちらかと言うと面白くワクワクした。

 

どうしてだろう、
多分、綴られた文字に 込められた思いが感じられたから
それが、押し付けがましくなく共感できたから

 

そして、結果、
そのメルマガでアフィリエイトされていた商材を購入した。
商材はメルマガを軸にしたアフィエイトビジネスのノウハウだった。

 

とはいえ、購入前1ヶ月くらいは色々ネットをみて廻った。

ブログを主にしてアドセンス収入を得るノウハウもあった。
最初に目指していたものだ、
これはこれで信頼できそうだし魅了的だった。
でもあっちもこっちもできないし
とりあえずひとつ決めて取り組もうと思うった。

決めたのは最終的に最初に出会ったメルマガアフィリエイト商材
決めた決めては
管理者の人柄かもしれない。

 

自分もこうでありたいと思った。

 

 

誰でも将来に不安はある

どんなに順風満帆な人生をおくっている人でも不安はある。
今ある日常に不満はないが、満足とは言い難い。

 

子育てを終えて、時間がある、でも楽ではない
年金や保証について、将来に充分な期待はできない
財産がありあまるほどではない、退職金も過大な期待はできない
これから先の老後を考えると安らかではいられない

 

100年人生政策なんて叫ばれている
いつまで働かせるのか、何をしたらいいのか。

 

お野菜高いとか、ガソリンが上がるとか、にヒヤヒヤせずに暮らしたい
子供や孫に負担はかけたくない、できればおこずかいくらいあげたい
できるだけ健康でいたいが、「あなたは病気や怪我にはならない」そんな保証はない

 

 

夢はあったはず

誰しも1個や2個
やりたいことがあったはず
でも子育てや生活のためにのびのびになり、いつしか視界から消えた。

 

野望はあるが、資金は潤沢ではない。
ビジネスを始めれば収益ばかりに追われやりたいことを見失う?

いろんな言い訳を何度自分に繰り返したか?
踏み出せなかったのは、家族のため? 将来のため?

 

夢を叶えることだけが幸せではない
自分の思いを成し遂げることばかりが成功ではない

周りが幸せならいいじゃないか
自分の我慢は取るに足らない
充分報われている

これ以上何かを望むなんてバチが当たる
今以上はなくていい

 

このまま無難に
今以下にならないように守るんだ

 

 

それでいい

 

 

運命は味方してくれた、努力すれば叶う夢なら叶えるべき

ここまできた人生をふりかえり
今でこそ言えるけど

運命は味方してくれた、

幾度となく

おとずれた試練

こんなはずでは、、、と叫びながら
断崖から蹴落とされた。

 

しかし、進んで行くうちに気が付いた。

行く手をはばまれたと思っていたが
3年、5年、10年のスパンで見てみると
あれ?
目的地にきている!

しかも、
自分が思い描いていたより
ちょっと、
こっちの方がいいじゃない!!

そして、
こんな方法があったのかと
いつも驚かされた。

勿論、
怪我もしたし痛みもあった。
でも、それは時がたてば癒える

無くしたもの、捨てたものもたくさんあった
でも、それは時がたてば忘れる

 

——-
離婚して、実家に帰り、田舎で息子を育てていた時
苺畑の真ん中で

「あれ、これって、思い描いた光景だ」

と驚いた、
子供を自然の中でのびのび育てたい。
願いは叶っていた。
写真、苺畑息子と一緒に

——-

息子と実家を出て、引越しをした時
引越し先は息子の生まれた街

「あ、この小学校に通わせたいと思っていた」

参観日、窓から見えるキラキラの海が眩しかった。
写真、海息子と一緒

——-

 

そして今回、

息子は大学を出、就職して、自立した。

再婚して、旦那さんと一緒に実家に帰った。
りんごも旦那さんも仕事を見つけ生活が始まった。

 

 

りんごには夢があった。

お家の畑の近くにペンションを建てたい。
美味しいご飯と居心地のいい空間

「ここにきてよかった」

と思ってもらえる時間を作りたい。

 

畑仕事中、山側を見渡し(他人の土地だけど)
あそこに、あんな風に、
と勝手にイメージしている。

 

実はのぶ(旦那さん)にも夢がある

プラモ屋さんを作りたい
側に「ミニ四駆コース」も作りたい

田舎道を走りながら、
空き地を見つけては、
構想を膨らます。

 

しかし

夢は遠い

あれこれ模索してみるが
たちまち資金がない
現実に話が進まない。

「宝くじに当たれば」
が口癖となった。

そのうち
「風が吹くと」
と2番せんじを願ってみるばかりだった。

 

 

でも今は

「夢はかなう」と思える

そのための条件は
努力すること。
やるべきことをひとつづつやるだけ。

やるべきことは示される。
アドバイスももらえる。

 

このプロフィールを書いているまさにその時
TVで冬季パラリンピックのスノーボード中継があった。

スノーボード バンクドスラローム
成田緑夢(なりたぐりむ)選手
金メダル獲得の瞬間を LIVEで見ていた。

最後の3走目はTVの前で
「拳を握って、行け!」
と叫んでいた。

インタビューの言葉が心に刺さった。


僕の好きな言葉で
「目の前の一歩に全力で」という言葉あるんですが
怪我をしてもう一度立て直そうとなった時から
未来のことを考えず

目の前の一歩に全力で全力で
それをやってこれたから
今、ここまで上がってこれたかなと思います
未来を見ていたら、絶対に落ち込んでいたし
今ある目の前の一歩を
踏めてなかったような気がします。

パラリンピック、成田選手

スノーボード バンクドスラローム 成田、攻めて夢の金 毎回タイム更新48秒台

 

描いた夢は遠いかもしれない

でも「目の前の一歩」は進める。

彼らの姿を前にして
それができないという理由が成立するだろうか

 

 

その先の未来が描かれる

田舎での生活
これからの人生
老後と呼ばれる時間の生き方
豊かさとは何か
幸せとは何か
今からできること
今だからこそできること

20年前、初めてのサイトで書いた夢

ネットで自分を伝える夢

伝える手段

ブログを作った
伝えたい思いを綴る

メルマガの力を知った
伝えたい人が選べる
伝えたい人に伝えたい内容が伝わる

20年前と同じ言葉

他人に自分の感動を伝える手段を探していました。
・・・
もしかしたら、これが私の手段かもしれないな
・・・
どれとて楽しいからがんばります
どうぞよろしくお願いします

伝えたいこと

「夢はかなう」と思えること

そのための条件は
やるべきことをひとつづつやるだけ

 

 

そして、夢は続く
実家の再生
ペンションの運営

旦那さん夢、模型店とサーキット運営

夢の完成のため
ピースが集まってくる
まだまだ描く夢は途中
ピース集めの日々

ゲームのアイテムと一緒、とり忘れたら戻らないと
ゲームはリスタートできるけど、人生は簡単に戻れない。

今、目の前にあるものを全力でとりくむ

全てが

夢の大事な1ピースになる

 

 

あなたに

最後に、ここまで読んでくださったあなたに
りんごから伝えたいことです。

りんごは突然職場を失い、田舎暮らしをすることになりましたが
そのことで、「ペンションをしたい」というかつての夢へ地へ戻ってきました。

資金もなく、遠い夢と諦めていましたが、
メルマガ&アフィリエイトというビジネスモデルを知り
その夢が実現できる可能性を信じることができるようになりました。

 

あなたにも「諦めた夢」がありますか
今、大丈夫だよ諦めなくていいよと言われたら
もう一度みたい夢はなんですか

そして

 

夢を見るものから叶えるものにしませんか。

「Dreams come true」(夢を現実に)

 

このブログやメルマガでお伝えする、情報は
きっとあなたのお役に立てると思います。

ちょっと敷居が高いと思っていた

ネットビジネス

若い人やパソコンにたけた人しか手を出しちゃダメと思っていた

ブログやアフィリエイト

 

りんごが今までの
インストラクター&サポート経験を生かして

 

できるだけ

初心者でもわかるように噛み砕き

シニアでもついていける速度で

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一緒に進みましょう。

 

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